有村新市・ありむらしんいち・鹿児島86水害で戦った警察官・トリハダ(秘)スクープ

20年前、鹿児島で起こった大規模水害、通称86水害。

 

多くの犠牲者を出した水害だったが、同時に多くの人々が助かった。

 

そのとき8時間にわたり市民を誘導し助けたのは有村新市(ありむらしんいち)という一人の警察官だった。

 

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有村新市(ありむらしんいち)と86水害

1993年8月6日、鹿児島で記録的な豪雨となった。

 

通称86(はちろく)水害。その時、有村新市(ありむらしんいち)は事件の捜査で検問をしいていた。

 

音がした。山がなった。「土砂崩れだ」とすぐにわかった。

 

当時有村新市(ありむらしんいち)は鹿児島のその地域の担当警察官。土地勘があった。

 

止まっていた車に避難を呼びかけた。堤防に向かうようにと。一人でも多くの人を逃がすために、有村新市(ありむらしんいち)は必死で非難の誘導をする。

 

その中で自身も土砂崩れに巻き込まれた。死を覚悟した。それでも、奇跡的に1名を取り留めた。

 

山の中腹に老婆が残されていた。みな有村新市(ありむらしんいち)に助けてほしいと叫んだ。

 

途中には切れた高圧電流の流れる電線。それでも有村新市(ありむらしんいち)はなんとか老婆を助けた。歓声が上がった。

 

自身も被災しながらの8時間に及ぶ非難。桜島フェリーが助けに来て、島民600名の非難が完了した。

 

有村新市(ありむらしんいち)は最後に船に乗った。犠牲者は出たが、多くの島民が生き残った。

 

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警察官であること

有村新市(ありむらしんいち)はのちに語っている。

 

「制服を着ていることの重さを感じた」と。

 

誰だって、自分の命は惜しい。できるなら、災害時には逃げ出したいのが本音のはずだ。

 

それでも、この鹿児島の86水害や阪神淡路大震災、そして東日本大震災のときにも、自らの命を顧みず、救出に向かった人がいた。

 

たとえ自分が死んでも誰かを助けたい、そう思い、戦った人間がいた。

 

震災や災害の記憶は辛いものだ。人々は、だんだん被災地のことを忘れ、自分中心の世界になっていく。

 

それでも、忘れてはいけないのはそれでも命を懸けて戦った人がいたということだ。

 

有村新市(ありむらしんいち)は自分が警察官として、制服を着ている限り人命を1人でも多く助けることが使命であるのだとその時思った。

 

同じように、東日本大震災でも多くの消防やレスキューが救出活動の中で命を落とした。

 

私たちは彼らのことを忘れてはいけない。

 

そうした彼らの生き様を、忘れてはいけない。

 

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