石坂典子いしざかのりこ・埼玉県入間に起こった事実はこうだった・カンブリア宮殿

埼玉県で問題になった、ダイオキシン問題。

 

その入間の野田工場として私の地元でも激しい地域住民との闘争があった産廃業者。

 

それが石坂典子(いしざかのりこ)さんの会社でした。

 

それを解決した石坂典子(いしざかのりこ)さんのしたことをまとめました。

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石坂典子(いしざかのりこ)さんのプロフィール

1972年東京都生まれ。

 

アメリカに短期留学

 

父親の運営する石坂産業に入社。

 

2002年に取締役社長に就任する。

 

環境問題に取り組む国際マネジメントシステムを導入し、会社の改革を断行。

 

2013年には経済産業省の「おもてなし経営企業選」に選出。

 

他に「掃除大賞」「文部科学大臣賞」なども受賞。

 

ダイオキシン問題が起きたのは、石坂典子(いしざかのりこ)さんが第2子を妊娠中であったそうです。

 

母として、社長としてたくさんの大きな決断が必要だった会社の改革。

 

埼玉の入間に住んでいた私は、その住民との確執をこの目で見てきました。

 

石坂典子(いしざかのりこ)さんの頑張りをご紹介します。

 

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石坂典子(いしざかのりこ)さんのしたこと

2002年、埼玉県入間市。ここに、いわゆる「野田工場」と呼ばれる産廃業者の集まっている場所がありました。

 

地元の人たちも「野田工場」とひとくくりで呼んでおり、公害や空気の悪さの噂はありました。

 

しかし、野田工場は地元の人の雇用場所でもあり、特に騒がれてはいませんでした。

 

そんなある日、ショッキングな報道が。埼玉の入間のお茶から、ダイオキシンという大変有害な物質が検出された、と大きく報道されました。

 

その主なものは、葉物野菜や地元名産のお茶。地元の農家は大打撃を受けることになります。

 

そして住民から起こったのが、「野田工場」の産廃業者の操業停止と移転の住民運動でした。

 

毎日署名活動が行われ、産廃業者の敷地に座りこむ人も。

 

そんな野田工場のひとつが、石坂典子(いしざかのりこ)さんの石坂産業でした。

 

これを受けて、石坂典子(いしざかのりこ)さんは会社の改革に挑み、産廃業者から95%の資源をリサイクルするエコな会社に作り変えました。

 

「会社を何とかしてほしい」そんな父親の心を受けて、必死に改革を続けた石坂典子(いしざかのりこ)さん。やめていった社員もたくさんいました。

 

しかし、この石坂典子(いしざかのりこ)さんの活動があって、やっと地元住民の反対運動はおさまり、みな野田工場を悪く言わなくなったのです。

 

野田工場で処理をしていた工場や会社も、石坂典子(いしざかのりこ)さんの率先した環境対策のおかげで生き残ることができたのです。

 

まとめ

2002年、私は大学生でした。学校でも「お前のうち、ダイオキシン出てるだろ」と言われるくらいの社会問題でした。

 

それを率先して解決し、地元住民と野田工場の和解を取り持ったのが石坂典子(いしざかのりこ)さん。

 

女性らしい視点で、しかし力強く会社と社会を変えた姿は素晴らしいと思います。今後も頑張ってほしいです。


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